3.30
2020年3月30日。この日こそ、天災などではない紛うことなき「人災」の年だったと
今も骨の髄まで当時の怒りや落胆が身に染みついている。
県内初の感染者。その一報は、この地に潜在的に眠っていた田舎特有の澱んだ感情を一気に呼び覚ましたのだ。理性や良識が脆くも崩れ去ったのではない。妬みや嫉みなど元々深く根を張っていた負の感情が、感染症という名の導火線に火をつけられたのだ。
キャンセル続出により閑古鳥が鳴いていた周辺の宿や遊覧船の悲鳴は、まだ遠い世界の出来事のように響いていた。対岸の火事。そう、愚かにもそう思っていたのだ。だが、この日を境に、我が店の客足は断崖から突き落とされたように途絶えた。
県内初の感染者は卒業という人生の節目を迎えたばかり、未来あるはずの齢若き女子大生。だが、彼女の名前、住所、家族構成、親の仕事に至るまで、官も民も一体となって白日の下に晒し上げた。卒業祝いの宴、旅立ちの思い出。それらはたちまち罪状となり、彼女と彼女を取り巻く人々への苛烈な誹謗中傷の嵐が吹き荒れた。ああ、そうだ。この田舎では、感染者は病に苦しむ者ではない。「災い」であり、「穢れ」なのだ。今になって若者の流出を嘆く声が聞こえるが、明日は我が身と震えた者からすれば、職や娯楽を言い訳にしてこの地を離れるのは当然の帰結ではないか。
「観光のスペシャリスト」「一流の田舎」を自称する首長たちの、なんと薄っぺらな言葉か。自治体のウェブサイトには、「不要不急の外出自粛」の文字。それは、経済活動の停止を意味する死刑宣告に他ならなかった。卒業式、入学式、春の息吹を感じさせるはずの祭りは、無残にも中止を告げられた。
夕闇迫る街に響くテレビの音。どのチャンネルも、揃いも揃って同じ言葉を繰り返す。「食事はテイクアウトで」「感染症対策をしっかりと」「皆で乗り越えよう」。欺瞞に満ちた言葉の羅列。一体、誰が誰を乗り越えさせるというのだ?
毎日の報道の冒頭は、感染者数の発表。まるで、今日の死刑宣告のように重くのしかかる。飲食店組合からの自粛要請。灯が消えた飲み屋街は、まるで亡霊の棲む廃墟のようだった。
それでも、わずかに残ったビジネス客は、暗闇に包まれた街の姿に茫然自失とし、項垂れてコンビニの冷たい弁当をほおばり、侘しい夜を過ごした。ビジネスでのささやかな居心地の良さから、いつか観光で訪れようなどと思っていたかもしれない彼らは二度とこの地に足を踏み入れることはないだろう。なぜなら、自粛期間が終わった後でさえ、「東京の人はお断り」などという愚劣な張り紙を掲げる店があったのだから。
連日の感染者報道に、地域住民は疑心暗鬼に苛まれ、互いを監視し合うようになった。そんな中、地域を見守り支えるはずの自治振興会や行政組織は、全くの無力だった。いや、それどころか、細々と息をしていた宿泊・観光業者に「県外客を泊めるな」などという愚かな要請をし、知り得た感染者の個人情報を秘かに拡散させ、陰湿な魔女狩りに手を貸したのだ。
集客が「悪」とされた社会。それは、経済の循環を意図的に止める愚行に他ならない。折込チラシの激減に苦しんだ新聞販売店の悲鳴は、誰にも届かなかった。この土地の閉鎖性は、経済活動すらも窒息させたのだ。そして、今まで地域の商工業者に対して威勢の良いことを言っていた行政職員や市議会議員のなんと情けない姿よ。この日を境に彼らの薄っぺらなメッキは剥がれ落ちた。苦境に喘ぐ飲食店に、ほんのわずかな力添えをすることさえ惜しみ、「上に飲みに行くなと言われているから」と冷たく背を向ける始末。平時では隠されていた、人間の本質と醜い性根が、白日の下に晒されたのだ。
あの忌まわしい騒動を語り出せば、枚挙にいとまがない。主導した者たちにとって、それは都合の悪い記憶なのだろう。2023年の5類移行後、彼らは当時の行動を顧みることなくなかったことにしようと躍起になっている。
だが、奪われた者、傷つけられた者は、決して忘れない。この怨念の炎は、決して消えることはないのだ。この場所に、その証を刻みつけておこう。