大学時代の殆どは
大阪・京都のベッドタウンとして開発された



平城ニュータウンの隅っこにある



読売な販売店の2階に


新聞奨学生として住み込んでました。
朝刊を配ったら学校に行き
授業が終わると夕刊を配り
夜には集金・拡張(勧誘)
一見苦学生なイメージの新聞奨学生
確かに休日は1月2日のみの年1回ですが

家賃光熱費無料&食費一部タダな生活で
給料の半分を学費に回しても十分なゼニをもらえ
当時バブルの贅肉がまだ残ってた新聞社本社に勤める
奨学生OBが時折
テーブルが回る中華料理屋や



和服のママに角の丸い名刺をもらえる飲み屋に連れてってくれるため
休みの少なさも相まって


やっぱり月9ドラマみたいな大学生活を送りたいんじゃと娑婆に出る頃には


国産新車がポンと買えるぐらいの現金は抱えてたので
今でも



こんなニュースを見ると
新聞配ればいいのにと思ってしまいます。

ココに住み始めた時は



平成の安打製造機が前人未踏な記録を叩き出したのをはじめ
色んな出来事がありましたが



年明けの早朝に関西を襲った未曽有の震災には




店からすぐそばの橋の上で遭遇しました。

車社会前提で作られたニュータウンですが
四半世紀のうちに色々事情が変わったのか
販売店の前のガソスタやファストフード店は



まるっと中古車販売場に変貌しており
当時は全く気にしてなかった
奈良市内のゴミを一手に引き受ける


環境整備センターからのオイニー
今じゃツーキーになってました。
と、ニュータウンの変容を感じたら、当時の配達区域に向かいます。