アメ公とユダ公がイランにミサイル打ち込んで早一か月
日本の富山県は砺波市の田舎では年度末な仕事が差し迫る中、一本の電話がありました。

私が南の島に居た時、バイト先のボスから丸投げ手渡された


ヤバいブツのお話しです。


その昔、行く先々で偏見に悩んだイラン人コックが
台湾沖のタンカーから流したメッセージボトルが喜界島に漂着し
書かれたメッセージを頼りにボトルを流した張本人が無事見つかり
実際、イラン人が映画撮影しに喜界島に来た

という


まさに仰天ニュースな出来事は
経緯はコチラから
喜界島での撮影はコチラから

それぞれ見ることが出来るのですが

今回はさらに踏み込んだアレコレを聞かれたので
10数年前な記憶を辿ります。




思えば、遠い中東の国からのメッセージボトル
ネタにはなれど「どうすりゃいいんや」と途方に暮れるハナシでしたが



たまたま、ビザの更新のため南の島で看護師してた子が
お次は中東行くって事で

田舎の基軸通貨



ドライの6缶パックを手土産に
ちょっと探してきてよと
ポップなノリで依頼したことや

映画撮影での来日が決定してから半年もの間




テヘラン在住な日本語学校教師を介して映画撮影スタッフと毎晩スカイプで打合せするも
時差のせいでコチラは深夜直撃だったり

撮影スタッフがビザ発給できるようにと
外務省のウェブサイトから必要書類をダウンロードして


滞在中の事細かな行程や身元引受人などを記入した書類原本を



テヘランの総領事館に郵送するも
2週間、中国大陸で放置プレイされてたり


撮影スタッフが日本に来たんだから豚肉食いたい酒飲みたいと騒ぐ中
必死に止める通訳が実は


国費で京都の大学院に留学するエリートながら
日当1万の薄給で喜界島に拉致され
滞在中は灼熱のロケに辟易し「帰りたい」を連発してたけど
今じゃ美人の嫁はんもろて横浜で暮らしてる事や



撮影が終わったは良いが、買い手が見つからず
映画は結局蔵入りになった事など話してるうちに
ちょっと懐かしくなったので
当時のメモをほじってみたら


初日はともかく


2日目からむちゃくちゃキレとる
よくもまぁ、途中で撮影がポシャらなくて良かったと
ホッと胸をなでおろしていると
取材の成果として



読売新聞九州版の夕刊という
ドマイナーな紙面が送られてきましたが
事前に奄美滞在中のランナーから


別紙面でのタレコミがあったのはココだけのハナシです。